お世話になっております。ページワンの平井です。
デウス・エクス・マキナ。ラテン語で「機械仕掛けの神」。古代ギリシャ演劇で、話がこんがらがってどうにも収拾つかなくなったときに、クレーンかなんかで神様を舞台にどーんと降ろしてきて、なんやかんや解決させてしまうという、まぁ、身も蓋もない演出技法です。
いや、あれですよね、脚本家が「あー、もう無理、話まとまんない」ってなったときの、最終手段。今どきで言うなら、「詳しいことはAIがなんとかしてくれます」で締めるプレゼン資料みたいなもんでしょうか。
さて、今回はその「機械仕掛けの神」から話を始めようと思うのですが、機械が神様扱いされる前は、機械はむしろ憎まれ役だったという話をしたいと思います。
【ラッダイト】
19世紀の初め、英国のノッティンガムシャーだかヨークシャーだかの織物業地帯で、ラッダイトという運動がありました。ネッド・ラッドとかいう伝説上の人物の名前を借りて、労働者たちが工場に押し入っては、力織機だの編み機だのをぶっ壊して回ったという、なかなか血の気の多い話です。
なんでそんなことになったかというと、機械化によって熟練職人の仕事がごっそり奪われたから、と。それまで何年もかけて技術を磨いてきた職人さんたちが、機械にあっさり取って代わられてしまうわけですから、そりゃ面白くない。
英国政府はこれを重罪扱いして、機械を壊した人間を死刑にしちゃったりもしたそうです。フレーム・ブレイキング法とかいう物騒な名前の法律まで作って。編み機を壊しただけで死刑って、今の感覚だとちょっとやり過ぎな気もしますが、まぁ、当時の為政者としては、産業革命の勢いを止めるわけにはいかなかったんでしょうね。
で、このラッダイトという言葉、今では「新しい技術に頑固に反対する人」を指す一般名詞になっているそうなんですが、聞いたことないですよね。彼らは別に機械そのものが憎かったわけじゃなくて、機械のおかげで自分の仕事や生活が一方的に奪われることに怒ってたわけで。機械が悪いんじゃなくて、機械の導入のされ方が悪かった、と。
【鋼鉄都市のご婦人】
このラッダイト的な感情、実はSFの世界でもちゃんと描かれています。
アイザック・アシモフの『鋼鉄都市』。ロボット刑事R・ダニールと人間の刑事イライジャ・ベイリがコンビを組んで殺人事件を解決するという、ロボット三原則ネタのSFミステリの傑作です。
この作品の舞台になっている未来の地球、宇宙人が作ったロボットが人間の仕事をどんどん奪っていって、地球人たちはロボットに対してそれはもう激しい憎悪を燃やしているという設定なんですね。
その空気感を象徴するようなワンシーンとして、靴屋でロボットが接客していることに、ご婦人のお客様が「ロボットなんかに私の相手をさせるな!」的なことでクレームをつける場面が出てきます。
1954年に書かれた話ですよ。今読むと、なんだか他人事に思えないというか。むしろ、明日にでも似たようなことが起きそうな気がしません?「AIチャットボットじゃなくて人間のオペレーターに繋いでください」といった感じ。
このご婦人、別にロボット工学そのものが憎いわけじゃないと思うんですよ。たぶん、ラッダイトの職人さんたちと同じで、「自分(あるいは誰か)の仕事や存在価値が、機械に取って代わられるかもしれない」っていう不安が根っこにあるんじゃないかと。
200年経っても、人間の機械に対する感情って、あんまり変わってないのかもしれません。
【機械、敵から神へ】
さて、ここで最初の話に戻ります。デウス・エクス・マキナ。機械仕掛けの神。
ラッダイトの時代、機械は「敵」でした。仕事を奪う憎むべき存在。鋼鉄都市のご婦人にとっても、ロボットは「敵」とまではいかなくとも、少なくとも「歓迎されざる存在」だったわけです。
ところが、今はどうでしょう。生成AIに対して、私たちはむしろ「なんでも解決してくれる存在」として期待してたりしませんか。資料の要約させて、議事録整理させて、コード書かせて、経営指標の分析までさせて。困ったときのAI頼み。まさに、機械仕掛けの神。デウス・エクス・マキナです。
200年かけて、機械に対する人間の態度は、ほぼ真逆になったと言えるんじゃないでしょうか。敵から、神へ。
でも、面白いのは、鋼鉄都市のご婦人みたいな感覚も、今なお消えてないってことなんですよね。AIに仕事を任せることに抵抗を感じる人、AIが書いた文章だとわかると急に評価が下がる人、「やっぱり人間が対応してくれないと」って思う人。ラッダイトの職人さんたちの感覚は、姿を変えて、今もちゃんと生きてるのかなと。
機械が神になるか、壊される敵になるかは、案外、機械そのものの性能じゃなくて、人間側がそれをどう受け止めるか次第、というところがあるのかもしれません。
【おまけ】
ちなみに、デウス・エクス・マキナって、本来は「安易な問題解決の象徴」としてあんまり良い意味で使われない言葉でもあります。物語の作り手からすると、都合よく神様に全部解決させちゃうのは、ちょっとズルい手法だってことですね。
AIに「要するに」で全部まとめさせて、自分で考えることをサボりがちな今日この頃、私たちも、ちょっとデウス・エクス・マキナに頼りすぎてるのかもなぁ、なんてことを思ったりもするわけです。
まぁ、そんなことを言いつつ、このブログもClaudeに書いてもらったんですけどね。イラストは、Copilotに描いてもらいました。
ではまた、お目にかかりましょう。ありがとうございました。