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働くって(2)


知識労働者とサービス労働者の生産性向上の困難

なぜ知識労働者やサービス労働者の生産性が上がらないだろう。

物を作ったり、運んだりする事についていえば、資本投資が速攻生産性を上げることに繋がる。つまり、新しい設備機械や運送機械を導入すると労働と代替できる。しかし、知識労働やサービス業では、ほとんど資本投資は生産性向上に寄与しないのではないか。これらの仕事では結局、「何を行うか」「どのような技能によって行うか」にその生産性が左右される。
例えば、今、多くの小中学校には、生産現場での機械設備に匹敵するだけのIT機器が投資されている。しかし、先生たちは部活動と報告書のやまに埋もれている。その投資の目的は教育の生産性を向上させる事であるはずにも関わらずだ。
今の病院は検査機械、分析機械等の塊だ。資本集約的な施設となっているが、スタッフの生産性を上げたのか?それらの機器はスタッフの数減らすことどころか、逆に高コストのスタッフの増員を余儀なくしている。医療コスト増加の原因は、病院の高度に労働集約、資本集約された組織となってしまったことにある。

賢く働くことでしか生産性向上は見込めない?!

先に書いたように、知識労働者やサービス労働者の生産性を上げようと資本投資しても、コスト高を呼び必要とされる投資がさらに増え、人員も実は増加するだけである。

では、これら労働者の生産性を上げるためには、どうすれば良いのか。色んなビジネス書や経済学や経営学の書籍を読んでも中々ピンとこないのだが、結局、一世紀以上も前にテイラーが言った「より賢く働く」こと以外にはないのではないかと思うに至る。製造業やロジスティックの分野では、資本や技術が与えるインパクトはより賢く働く事のエンジンとなった。しかし、知識労働やサービス業において、より賢く働くことが生産性において持つ意味はとても複雑な気がする。

どうすれば、より賢く働く、ことが実現されるんだろう

答えは難しいが、弊社の中で日ごろ感じている事を述べるしかないのだが…

・行う必要の無い仕事をやめる
仕事を定義しなおし、本来必要な仕事を行う。

・仕事に集中する
ほとんど価値の無い仕事に忙殺されてはいまいか。

・生産性とは何かを考える
生産性とは質なのか、それとも質と量なのか、はたまた量なのか

・協業する
一人で抱え込むことなく、自分が得た知見を他人に教える(教える時に人は最も学ぶのだ)

実際の話、よく内部リソースを使って仕事をする、つまり他社には仕事を出さないことで収益率を高めているといく企業の話を聞くことが多いが、生産性が外部の受注企業によって実現されている例はよくある話だし、尤もな話だ。外部の特化した技術やサービスを持つリソースを抱える企業に、自社の目指す生産性とは関わりのない仕事をアウトソースする合理性の高さは、ホテルの清掃を見ればよく分かるであろう。

莫大な投資を必要としたハード導入やそれに伴うコストの高い人件費増。ITが隅々まで行き渡った社会において「働き方改革」が叫ばれているが、要は生産性の向上をめざしているのであろう。
所有するのではなくクラウドを必要な分だけ借りて使う。業務に必要なシステムもクラウドで借りて使う。働く場所にも限定されずに、コミュニケーションをしながら働けるサービスの登場。これらは、知識労働、サービス労働の生産性を高める為に使われるのである。